1914年に軽井沢で開業した、星野リゾートの前身である「星野温泉旅館」の4代目として生を受けた星野佳路さん。幼少期から家族や周囲の人にも文字通り”4代目”と呼ばれ、星野さん自身も家業を継ぐのは当然のことと考えていたといいます。
そんな生い立ちから、子供の頃から帝王学を学んでいたのかと思いきや、中学から大学までアイスホッケーに打ち込んだそう。中学2年生からの4年間、夏休みはカナダのアイスホッケーキャンプに通い腕を磨くなど、のめり込み方は半端ではなかったようです。
スポーツから引退し、大学を卒業して「会社を継ぐために勉強しよう!」と一念発起して選んだのは、アメリカのホテル経営の大学院に進むことでした。
「大学院に進むためには推薦状と英語力が必要でした。推薦状をもらうために、私の行きたい大学院を卒業した方が総支配人を務めるホテルで契約社員として働きながら、GMATやTOEFLのスコアを上げるための勉強をしていましたね。そうしてコーネル大学ホテル経営大学院にアプライできたのは、1984年の9月。24歳のときのことでした。しかし英語力が足りないということで、6月から8月の3ヶ月はキャンパス内で大学院準備として英語の授業を受けて、入学を許可してもらったんです。」
星野さんの25歳の頃とは、家業を継ぐために本格的に勉強を始める時間だったのです。
「9月から12月半ばまでの第1セメスターは地獄でした。」と、星野さんは笑います。
「最初の授業で分厚いハンドアウトを課題として渡されて、これを3ヶ月かけて勉強するんだなって思っていたら、翌週までの課題だった。驚きましたね。大学に行って、講義を受けて、課題をこなして。気づいたら3時間しか睡眠時間がない毎日。
しかし体育会出身ですから、体力には自信があった。それが取り柄で、どんな無理をしても大丈夫だと思っていましたね。」
授業の内容はホテル経営に特化。ファイナンスにはじまり、投資に建設、マーケティングや、レストランチェーンのケーススタディなど、多岐に渡ったといいます。そしてその学びは、星野さんの現在に繋がる影響を与えます。
「今に残る古典的なものもありますが、インターネットが台頭する前なので、その時に学んだ内容は現代ではほとんど通用しない。しかし”ビジネスには理論がある”という考え方はその時に学び、今でも私の基盤になっている。理論があるから、教科書もあるし、定石もある。
そしてそれは、アイスホッケーの腕を磨くことと非常に近い感覚だと思ったんです。うまくなるためのトレーニングには定石があるし、上手な選手を見て真似をすることはケーススタディを学ぶこととも言える。学生時代に目指していた”うまいホッケー選手になる”という像が、”良い経営者になる”に変わっただけなんじゃないか。もっと言えば、良い経営者になるためには、理論や定石をよく学び、それを実践し、磨き上げていくことが必要なんだと。24歳から27歳まで在籍した大学院で、そのようにアイデンティティを見つけたんです。」
1991年に社長に就任してから今に至るまで、星野さんの経営は25歳前後で出会った”理論を踏まえて思考し、実践すること”の繰り返しです。
例えば星野リゾートが94年から実施する「顧客満足度調査」は、ケン・ブランチャードが提唱した顧客サービスを高めるための代表的な手法。これを星野さんは、調理場における旧態依然の組織体制にメスを入れるために使いました。
「例えば、和食の調理場はすごく独特な世界。板長が最も偉大で、板長が「明日やめる」と言えば、その下にいる板前も全員やめる。
当時は食材の発注から顧客への提供まで全てを板長が管理していて、正直なところそのやり方には非常に問題があった。つまり治外法権ですね。私はその時31歳。向こうからしたら若造で、私が文句をつけるものなら、「アメリカ帰りの若造が」で一蹴されてしまう。しかし顧客満足度調査の結果で「美味しくなかった」というレビューがあると、板長さんはすごく真摯に向き合ってくれたんですね。」
直近の経営においても理論が役立っているそうです。それは2018年に開業した星野リゾート初の都市型ホテル『OMO』を企画していたときのこと。「星野リゾートは都市型ホテルを出して良いのか?」と悩んでいたといいます。
「ブランド理論の大家、デイヴィット・アーカーから言わせれば邪道。ブランド原理主義者である、アル・ライズも同じような考えで、理論に則っとれば星野リゾートが都市型ホテルを出すのはあり得ない。ところが、その当時登場したブランドストレッチという理論を提唱したデビッド・テイラーの研究は、マスターブランドをどこまでストレッチできるかという内容で、考え方の毛色が少し違ったんですね。そしてそれは私の悩みにぴったりだった。それをもとにアーカーやアル・ライズも読み直すと、考えるべきなのは”星野リゾートは都市型ホテルを出すべきか”ということではなく、”すでに存在するブランドをいかに自立させられるか”だと合点が行きました。」
こんな例を紹介すると、星野さんはかなりの理論主義者だと思うかもしれません。しかし「経営者の直観はやはり大事」と言います。当てずっぽうな直観ではなく、理論を勉強した上での直観は失敗しにくい。だからこそ、星野さんは今も海外のケーススタディを読み漁っているのです。
「理論を把握して定石にあてはめるという思考があるからこそ、”自分の理想ってなんだっけ”と立ち返ることができる。どんどん新しい技術が出てきても、短期的な売上や競合の動きに惑わされずに済むんです。」
理想に邁進してきた星野さんですが、25歳の頃にやっておけば良かったと思うこともあるみたいです。
「大学院に通っていた時、学友たちともっと交友関係を深められていれば……と後悔していますね。それに気づいたのは40歳を過ぎてからですが、今よりも世界が広がっていたはずだし、世界のトップビジネスマンは勉強や仕事だけでなく、そうしたレジャーやボランティアまでも周りからの評価の対象だということをわかっていますから。」
逆に、理論を学ぶという点では今の時代はとても恵まれていると言います。
「ビジネスにおいて理論は大事。これは間違いない。私が大学院に行ったときは、高名な教授の授業を受けるには現地に行くしかなかった。しかし今はYouTubeで教科書の解説もしてくれるし、場合によっては本人が直接講義をしてくれる。自分の好きな教授の動画をお気に入りに登録しておけば、自分だけのビジネススクールができてしまう。私みたいに田舎の大学院に苦労して入る必要はないんだから、羨ましいですよ(笑)。」
星野さんの話したことは、経営者を目指す人にだけ当てはまることでは決してなさそうです。例えば自分のキャリアを考えるときに、労働市場や雇用構造の理論を勉強して、自分なりの理想を考えるのも1つの手段なのではないでしょうか。
最後に「何を学ぶべきか分からないときはどうしたらいいですか?」と聞くと……
「私は学ぶことを目的に学んでいたわけじゃなく、目の前の課題を乗り越えるため、修羅場をどうにかするために学ばないといけなかったんです(笑)。
24歳で英語力が乏しいのに大学院で勉強するときも、20代後半に社長就任前に一悶着あったときも、31歳で社長に就任してから意思決定をしていくときも、どうにかしなきゃと必死で、何かにすがるように学んでいた。
学ぶべきことが見つからないっていうのは、その人の置かれている状況がピースフルなのかもしれませんね。ピースフルだと学ぶ必死さも出てこないですから。だからまずはその環境から飛び出すことが学びを必要とするきっかけになるんじゃないかな。」
ライター:koke1
大切な二つを切り離さずに、巻き込んでいく。 〜家族と仕事の自由な関係 梶友宏さん
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