2024/03/15

思い通りにならなかった20代。 積み上げてきた“作業”が今のキャリアを形作る。 ~25歳、あの頃の自分 佐々木典士さん

インタビュー
#転職#編集者#佐々木典士

現在のキャリアで活躍しているあの人も、憧れの職種のプロフェッショナルも。25歳の頃は“はたらく”について何を考え、何に悩んでいたかを掘り下げるこの企画。作家の佐々木典士さんは30代で編集者として出版社に勤めながら、『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版しました。「思い通りでなかった」と語る20代から今に至るまで、どのようなキャリアプランを思い描いていたのでしょうか。


<佐々木典士表>

1979
香川県で生まれる
2003
早稲田大学教育学部卒業
2004
3年間の就職活動の末、株式会社学研ホールディングスに入社。『BOMB』編集部に。
2006
入社2年目で退職。
2006
株式会社INFASパブリケーションズ『STUDIO VOICE』編集部に転職。
2007
株式会社ワニブックス入社
2014
ミニマリズムについて記すウェブサイト「Minimal & Ism」を開設。
2015
『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版
2016
株式会社ワニブックスを退社し独立。フリーランスに。
2018
『ぼくたちは習慣で、できている。』を出版
2019
フィリピン留学し、その後移住

3年かけて勝ち取った編集の仕事で、配属されたのは思ってもみないグラビア雑誌


“本が売れない”と叫ばれて久しいこの時代に、デビュー作『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』が世界累計80万部を突破。続く『ぼくたちは習慣で、できている。』も世界12ヶ国語へ翻訳されている作家の佐々木典士さん。30代半ばで「ベストセラー作家」となる佐々木さんが25歳のときに見ていたのは、どんな景色だったのでしょうか。

「20代は思い通りにならない日々でしたね(笑)。そもそも大学生の頃に失敗というか、僕は就活を3年間しているんです。大学生活で友人がたくさんできたわけではなく、本しか友達がいないという状況だったので出版社だけに絞ることに決めました。だけど非常に狭き門なんですよ。さらに大学で友達ができないくらいなので、コミュニケーション能力もなくて。プライドは高いのに臆病だったので面接はからっきしダメ。それでも3年就活を続けてようやく拾ってもらうことになるのですが、25歳のときはまだ入社2年目でさらにその会社を2年で辞めるんです。なので“次の会社どうしようかな...”と考えていた時期だったと思います」


最も興味のある業界だけを狙って3年間就活を続け、ようやく得た内定先で配属されたのは女性アイドルのグラビアページがメインの月刊誌。

「芸能界にはもともと興味が薄かったので配属されたときは結構失望しましたね。でもかわいい女の子に会うことは嬉しいものだし、写真も撮影もとても好きだったので勉強になり、続けられました。それでもやっぱり次は自分の興味関心のど真ん中に挑戦しようと思ってカルチャー誌を作る出版社に入ったんです」


憧れたカルチャー誌で、大きな挫折を経験

2社目として選んだのは老舗カルチャー雑誌の編集部。ついに好きなことを仕事にできる。希望を抱えて入社した佐々木さんでしたが、またもや失意の底に沈むことになります。

「カルチャーが好き、本が好き、映画や写真も好き。そんな自分の趣味と完全に一致する編集部に携わることになったので、希望に満ち溢れていましたね」

企業規模の大きかった1社目と比べて、転職してからは収入も下がったと言います。しかし、佐々木さんを絶望させたのは条件面ではありませんでした。

「就活をしているときから出版業界は斜陽産業だったので。興味のあることを優先して選んでいたし、お金を稼ぎたいと思って入ったわけでもなかったので条件面はそんなに気になりませんでした。ただ最初の給与明細を見た時は血の気が引きましたよ(笑)。実際に“これで生活するのか...”と。ただそんなことよりもキツかったのは、入ってみると残業もものすごく多いし、スケジュールも毎回ギリギリで関係各所にもすごく迷惑をかけていました。ペーペーでなんの経験もないのに僕も尖っていたので当時の上司に文句を言っていたら干されたんです。最終的には入社して1年も経たないうちに広告営業の部署に異動になりました。要するに辞めろ、ってことだったのかなと思うんですけど。そんな流れで3社目を探すことになりました」

憧れた業界に入ったものの興味を持てない部署に配属され、最も趣味や関心の合うであろう環境に転職をしたら上司とうまくいかない。佐々木さんの25歳の頃はたしかに「思い通りにいかない」日々だったようです。



外からは見えない、「憧れの内情」を知った20代。

その後佐々木さんは、9年間勤務し、ベストセラーとなる『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版する株式会社ワニブックスに転職することになりますが、最初の2回の転職も無駄ではなかったと振り返ります。

「憧れている業界とか仕事って、憧れているだけだと実情はわからないままですよね。体験してみたからこそ良い面も悪い面も見えたので、興味を持てなかった編集部と好きな分野の編集部、両方を若いうちに経験できたのは本当に良かったなと思っているんです」


そう語る佐々木さんですが、3社目となるワニブックスはどのように選んだのでしょうか。

「実は結構消極的というか、自分ができること、これまでやってきたことを活かせる場所、という目線で選びました。1社目で芸能関係のグラビア誌をやっていたので、そのキャリアで売り込める編集部に声をかけて、面接を受けたという感じです」

ワニブックスではタレントの写真集や、1社目で担当した雑誌のライバル誌を担当する。最終的には『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』が大ヒットしたことをきっかけにワニブックスを退社し独立する佐々木さんだが、なぜ自身が社員として勤める会社から、自著を出版することになったのか。そのきっかけは、仕事で訪れた海外ロケにあったそうです。


“どんな会社か”よりも、“どんな作業か”で仕事を選んでみては?

ミニマリストがテーマの本を書いてベストセラーとなるほどなので、そもそもモノが少ない生活を送っていたのかと思いきや、まったくそうではないのだとか...。

「カルチャー誌を志すくらいなので、僕はそもそもモノが大好き(笑)。CDや本が部屋を埋め尽くしているような状態で、とにかくモノの管理が苦手でした。雑然とした部屋でモノが溜まっていて、鬱屈していたと思います。給料はそれほど高くないし、キャリアが今後開けていくような展望もない。そうはいってもモノは欲しい、だけど管理はできない。2年と1年で会社を辞めた僕がその当時で5〜6年勤めていて、仕事内容も、顔ぶれも、住む場所もずっと変わらない。人生がすごく停滞している感じがあったんです。そんなときに、タレントさんの写真集で海外ロケに行くことがあり、それがきっかけで“ミニマリスト”という言葉を知りました」

出版業界において、社員が自ら企画した本を自著として出版するケースは多くない。なぜそのような流れになったのでしょうか。

「小さい会社ならではでしょうね。海外ロケで“ミニマリスト”という言葉を知った僕は、それをテーマに本を出したいという企画を会社にプレゼンしました。企画書には資料として自分の部屋の写真も載せたものの、自分で書くとははっきり提案してなかったと思うんです。ただ承認が済んだ後はなんだかんだうやむやながら、ぼくが書くことで推し進めて。世に出たい、自分で書きたいとは思っていなかったんですが、編集者として客観的に見て自分が書くのがいちばん良い、やりたくないけどやらなきゃいけないと思っていました。そうするうちに書籍部の担当編集もついてくれて、スケジュールも本当にギリギリだったので、僕の書いた原稿は、世に出るまで担当編集と僕以外はほとんど読んでいないと思います。だけど、書きながらこの本は絶対に世の中から求められているものだと確信していました。まったくの無名で誰も知らない人が書いた本でしたけど、僕の抱えている悩みと同じことで困っている人はものすごい数いるだろうなという自信はあったんです。自分は本当に普通の人間なので、自分のような人は必ずたくさんいると」

その根拠のない自信は、やがて世界累計80万部を突破することで正しかったと証明されます。不遇の20代を経て30代で花開いた、と表現することもできるキャリアですが、その20代の経験こそがヒット作を作り出す源になっています。

「芸能の仕事には興味が持てないと2年で辞めたのに、タレントさんの写真集のロケ先でミニマリストという言葉に出会ったこともそう。出版社の社員である編集者が本を出すなんて大手ではまずないことですよね。1年しかいなかったですが、カルチャー誌では編集者が原稿を書くことも多かったのでその経験も活きています。最初に25歳のころは思い通りにならない日々だったと言ったのですが、思い通りにならないことも含めて予想外のものでキャリアが形作られているなとは最近よく考えるんです」


生まれ育った香川県にあるご自宅と東京をオンラインで繋いで行われた取材中、終始穏やかな表情と語り口で自らのキャリアを振り返ってくれた佐々木さんに、「最後に、25歳の自分にアドバイスを贈るとしたら?」と尋ねてみた。

「仕事もそうですけど、たくさんの“作業”を経験してみろ、って言うかもしれません。キャリアを考えるうえで、安定した大きな会社に入りたい、とか、有名な会社に入りたい、とかあると思うんです。ただ、そこでどんな仕事をするかっていうのは全く別の話ですよね。人事が好き、経理が好き、営業が好き...。僕は編集の仕事の、ありとあらゆる情報から引用して編むことや、写真を撮ること、人の話を聞くこと、その他の細々とした作業が好きだったんです。だから会社を移ったり、今ではフリーランスになってもその作業を仕事にできている。映像編集というのは、順番を入れ替え、わかりやすく見せる文章の編集と同じだということに気づいたので、映像の編集もやってみたりしています。どんな会社かということよりも、自分の好きな作業ができる仕事の方が幸せだと思うので、そんな言葉をかけたいですね」

この記事に登場する人

佐々木典士

さん

編集者・作家  

1979年、香川県出身。 学研『BOMB』編集部、『STUDIO VOICE』編集部、ワニブックス『アップトゥボーイ』などを経てフリーに。ワニブックス在職中に、自身の企画として初の著書『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版。26カ国語へ翻訳され、世界累計80万部を突破。習慣本『ぼくたちは習慣で、できている。』(英語タイトル「hello, habits」)は12カ国語へ翻訳されている。 <著書> ・『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』(ワニブックス) ・『ぼくたちは習慣で、できている。』(ワニブックス) 編集者・作家 <わたしの職務経歴書> これから 自分が真剣に悩んだことをテーマに本を書く仕事を続けながら、家族を持ったり、コミュニティを作っていきたい 2019  フィリピン留学し、その後移住 2018 『ぼくたちは習慣で、できている。』を出版 2016 株式会社ワニブックスを退社し独立。フリーランスに。 2015 『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版 2014 ミニマリズムについて記すウェブサイト「Minimal & Ism」を開設。 2007 株式会社ワニブックス入社 2006 株式会社INFASパブリケーションズ『STUDIO VOICE』編集部に転職。 2004 株式会社学研ホールディングスに入社。『BOMB』編集部に。 2003 早稲田大学教育学部卒業 <これまでに挑戦したこと> ・憧れの出版業界を目指し、3度の就職活動 ・2回の転職 ・“ミニマリスト”をテーマにした本を企画し、自著出版 ・海外移住

夫婦で柔軟に役割をスイッチする。ホテル総支配人・原めぐみさんの働き方と家族のかたち。

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